私たちについて

bace campの皆さん
墨丸職人



墨丸と書道

墨丸の役割

 魂の入った芸術作品には、作者の息遣いや心、宇宙や大自然ともつながるような永遠不滅の普遍的な真理があります。そして、そのような作品には、置かれた空間や魂を癒したり、成長させたりするような力があります。

    

私たち人間の魂は、どこかで上質なものや癒し、自らの魂の成長を求めています。そういった作品に触れる機会が、今の日本人に必要ではないかと、私は感じています。

そこで墨丸では、以下を中心に活動していこうと考えています。

 

①書家の方と一緒に、書の約束、書の本質を広く発信する場を作ること。

②墨丸での研修を通し、伝統の継承の場を作ること。

③本物を必要とし、作品を次世代へ残して下さる方、展示する場を提供してくださる方との仲介を通して、経済的基盤を作ること。

 

書を継承していく環境の必要性

さらに、芸術家や書家の方々には、崇高な役割があります。

私は、書道一家に生まれ、育ちました。そこで感じたことは、書という伝統的文化を継承していくこと。また、さらに磨いていくことです。

   

書に、芸術的な命を吹き込むとなると、人智だけでは足りません。書家は「器」です。まず、天から降りてくるものを受け入れる「器」に、書家がなる必要があります。その状態となった書家が、受け取ったものを「書」という目に見える形にします。これは、物質というよりも、神の世界に近い、半物質のようなものに感じられるかもしれません。

人間の英知ともいうべき文字(伝統的文化としての書)が介在すると、単なる書ではなく、昇華され、悠久の命が吹き込まれます。

 

通常、私たちには見ることのできない「神」や「風」の姿が見えるようになります。また、実際に肉眼で観察している「木」よりも、より「木」の本質、本当の姿を見せてくれます。すなわち、そのものの形を与えてくれるのです。

 

「器」の状態となった書家による、ものを見る力や受け取る力を媒介すれば、普遍的心理に触れることも可能となるでしょう。さしずめ、書家は目に見えないものを含めた、宇宙と人間との仲介者と言ったところでしょうか。

 

 書家としての「器」を作ることも、受け取ったものを体現する技術を身につけることも、一朝一夕でできるようにはなりません。そのような作品を本気で書けるようになるには、朝から晩まで、書について考え続けることになると思います。

しかし、それを望む書家がいて、突き抜けようとしている人がいるのであれば、その環境を準備する必要が絶対にあると、私は思うのです。

 

墨丸では、その環境作りをしてゆけたらと考えております。



出水 桐華
書家

恵泉女学園中高を経て2006年東京女子大学卒業。

大学卒業後は都内法律事務所にて事務職員として勤務した後、2011年日本書道専門学校へ入学。

幼馴染が習っていたことから小学一年生より書道教室に通いはじめ、高校卒業まで継続。

中高時代は部活のバスケに明け暮れていましたが、唯一辞めずに細々と通い続けた習い事でした。

しかし大学時代の転居や就職などで書道とは疎遠になったまま社会人として働いていたとき、このままでいいのか?と自問自答。

そこで書道を本気で学びたいと思い、28歳で出戻り学生になることを決意。

 日本に古くから根付き文化として発展してきた書道。何世紀も前の時代を生きた人たちの書き上げた書物から発せられる息遣いは、今でも色褪せることがありません。

先人たちが遺したものを学ぶうちに未来を生きる子どもたちにも手で書く、筆を使って書くことの楽しさを伝えたいと思うようになり数年前から子ども中心の書道教室を運営しております。

現代ではデジタル化が進みPCでの文書作成や携帯電話でのやりとりが当たり前となり、手書き、ましてや筆で文字を書くことなんて滅多に無いという方も多いでしょう。

「文字は伝達のツール」と言ってしまえばたしかにその通りかもしれません。

ですが私は人の手によって書き上げた文字や文章には、デジタルにはない魅力があると考えています。

筆で書いた文字の持つ温かさを身近に感じて頂けましたら幸いです。

日本書道専門学校を首席で卒業後、都内、千葉にて書道教室を立ち上げ、多数の生徒を指導。2018年、ゲストハウス宴の看板文字を揮毫。



高澤 翠雲
書家

【高澤翠雲プロフィール】

1956年 北海道札幌市に生まれる 幼少より大叔父の(故)加納守拙より書、篆刻の手ほどきを受ける

1977年 故 桑原翠邦(元東宮御所書道御進講)主催 書宗院展院友無鑑査に推挙される

1979年 大東文化大学文学部中国文学科卒業

1984年 故  手嶋右卿(文化功労者)の内弟子となり、以後右卿が亡くなるまで3年間寝食を共にする

1992年 全日本書道連盟正会員に推挙され、代表訪中団の一員として中国寿山卿を視察

1992年 韓国で開催された第一回国際篆刻展に招待出品、韓国芸術の殿堂に出品作品が収蔵される

1995年 西東篆刻字典を編纂する

2015年 『荘子語印・印画展』を開催 荘子語印五十九顆、印画十八点発表。

2017年 篆刻作品において初となる、手嶋右卿賞を受賞。

 

 

 

【著書】

『西東篆書辞典』

『篆刻成語辞典』

『かんたん篆刻入門』

『自用印の作り方』

『拡大版臨書手本(楷書編・行書編)』

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皇族、首相、著名書画家の印を多数刻す。(故 高円宮親王殿下、故 三笠宮親王殿下、故 大山康晴、故宇野宗佑 故 原健三郎、高円宮妃殿下、管直人、アントニオ猪木、故 河北倫明 ほか

現在は日本書道専門学校で教鞭をとる傍ら浅草にて教室を開催、篆刻作品を発表。

 



笠井 愛

【自己紹介と、墨丸を作り始めた理由】

 

はじめまして。墨丸を作っております、笠井 愛と申します。

今日は、なぜ私が墨丸を作ることになったのか、少し長くはなりますがお話しさせていただきたいと思います。

 

夢は、森を守ること

幼い頃の私は、とにかくものづくりと、自然と、スポーツが大好きな、活発な子どもでした。父は書家で、母は書道教室の先生。私は書道の道には進みませんでしたが、書は当たり前にあるもので、家にある作品にいつも助けられていたような気がします。

 

私が抱いた最初の夢は『森を守る人』でした。水や木を心から尊敬していて、子ども心に「あぁ、こんな自然を、ずっと守って行きたいな」と思っていました。そんなふうに、ものをつくりながら、自然と戯れて、育っていったのですが、小学校の低学年あたりから、人間の営みについて、不思議に思うようになっていきました。

 

私が大好きな木を、人は簡単に切って、使ってしまいます。本来であれば、木を植え、長い年月をかけて育てます。立派に大きくなったところで、商品に加工していきます。できた商品は、その役目が終わった時、土に返す。

「ゆりかごから墓場まで」

循環するシステムができてはじめて、商品として木を扱うことができると思っていました。木以外の資源も同じです。

 

進路への迷い

小学校3年生の時、はじめてセヴァン・スズキさんのスピーチ(ブラジル、リオ・デ・ジャネイロでの環境と開発に関する国連会議にて)を見る機会がありました。その頃から真剣に、人と自然の共存について、考えはじめました。

そんな疑問を持ちながら、私は小・中・高と水泳、テニスに打ち込んでいました。努力の甲斐もあって、水泳でも、テニスでも全国大会に出場できるまでになりましたが、大学での進路について、迷いがありました。

「森を守るには、どうしたらいいのか」

人間の生きる目的を考えることが、森を守ることに繋がるのではないかという考えから、哲学科へ行こうか。あるいは、お金持ちになってから、そのお金を使って環境を守る活動をするために商学部へ行こうか。

哲学は本能的に好きだったので、やりたくなったら学校へ行かなくても自分で本を読んだり、考えを巡らせるだろう。そう思い、商学部へ進学することにしました。

 

子どもたちの目の輝きが、イキイキとさせる

大学2年生になると、私はテニスコーチの仕事をはじめました。当時、人見知りだった私に、大勢の前で自分の考えを伝えることは、とてもハードルの高いことでした。しかし、仕事のおかげで、人見知りを克服することができました。

また、テニスの面白さにハマり、目を輝やかせながらテニスに励む子どもたちを見るのが、とても好きでした。子どもたちの目が輝いていた時、私の目もきっと輝いていたと思います。本当に大切なことを教えてもらいました。

 

罪悪感と搾取から鬱に……

無事に社会人になりましたが、決して良いことばかりではありませんでした。幼い頃同様、地球に責任を持たない人間の営みに、自分も参加していることに対して、罪悪感を覚えていました。

会社の利益のためには、地球に対しても、人に対しても無理を強いる。ライバル会社とはもちろん、同じ会社の中でも競わされ、労働力を搾取されながら、常に結果を求められました。考える余裕もなくなり、忙しく働く中で、真面目な人ほど鬱になっていきました。かくいう私も鬱になりました。

 今、原因を考えてみると、

 ①環境の問題「地球を傷つけながら生きているという罪悪感」

 ②労働の問題「私自体もずっと競わされ、搾取され過ぎていた

2点だったと思います。

そこに加えて、私は昔から、自分の考えていることを他の人に話すのが苦手でした。家族でもそうです。私は、本当に困った時にも「もう無理だ」と言える相手がいなかった。ずっと体育会系で育ってきて、特に「心が弱い」といったことがなくても、鬱になってしまったのです。

このように、ある一定の条件がそろって、精神的に追い詰められてしまうということは、ごく普通にあります。これを本当に「心が弱い」で済ませてしまっていいのでしょうか。「成長」は良いことなのでしょうか。それとも、悪いことなのでしょうか。

 

やりがいのある仕事をつくる

「森を守る人」の他に、私にはもう一つ抱いていた夢がありました。

それは「忘己利他」を実践して生きたら、素敵な人生になると思っていたことです。

「忘己利他」とは、「自分のことを忘れ、他の人々のために尽くせ」という意味で、最澄の『山家学生式』に見られるもの。子どもの頃、テレビで瀬戸内寂聴さんが言っているのを見て、この言葉を知ったのですが、実際に会社で働いて、本気で実践しようと思うと、とてもしんどかったです。

 

先に述べた「心が弱い」や「成長」の答えが、ここにあるように感じます。

自分を身を削って働き、我を忘れて働いても、相手が本当に幸せになっているなら、きっと自分も幸せになれるでしょう。しかし、自分の行いや会社の営み、売っているものが、本当に人や地球のために役立っているかのどうか。また、逆効果になることになっていないか。そういう疑念を持ちながら、自分を忘れるまで働いていたからしんどかったのだと、今では思います。

こんな経験から、まじめな人が「忘己利他」を実践しても、イキイキと働ける仕事を少しでもつくっていきたいと思うようになりました。

そして、それを実現させるため、「やりがいのある仕事」について、考えるようになりました。

 

墨丸を通じて実現したい世界

そこで私のたどり着いた答えが『墨丸』です。

 

1、売り上げで、自然、動物、人を守る

2、日本に、本当にやりがいのある仕事を作る

3、物を作るなら、とっっても綺麗で、心の潤うものを作る

 

先進国の方の心の潤うような商品を作り、(仕事を作る)

相手を想うキラキラした優しい気持ちを、墨丸で形にする。

 

その想いが、売り上げの一部で行う活動で世界中に巡る。

墨丸を通じて、そんな世界が実現したら嬉しいなと思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

                                          代表  笠井 愛